選手宣誓(石巻工阿部翔人主将)

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平成24年3月21日(土)に開催された第84回選抜高校野球大会で、石巻工業の阿部翔人主将による選手宣誓の全文は次の通りです。

宣誓。東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には、苦しくて心の整理がつかず、今も当時のことや亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは、苦しくて、つらいことです。
しかし、日本が一つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう。日本の底力、絆を。われわれ高校球児ができること、それは全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。
今、野球ができることに感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。

かつてこれほど感動させた選手宣誓があったでしょうか?
この中で「答えのない悲しみ」って表現に妙に惹かれました。

私は宮城県北に住んでいて、震災当時はものすごい揺れを経験いたしました。後で分かったのですが私の市が最強の震度7でした。

今までの経験則から、大津波が来ると即脳裏に浮かびました。通信手段が遮断されて大津波が来たと知ったのは三日後のことでした。

10日以上も電気も水道無くて自分たち家族が、生活するのに精一杯でした。行動するにもガソリンが無いのでどこにも行けませんでした。

電気が来たときに、知人の無事を確認に気仙沼に行きました。行って見たらその惨状はすさまじく、まさに言葉もありませんでした。カメラを持って行ったのですが、なぜかまったく撮影する気にはなりませんでした。

一言で言えば、町全体をミキサーにかけて放り投げた感じです。車の上に車、さらにその上にまた車。岸壁には巨大な船が打ち上げられている。写真では分からないが、嗅いだことのない独特の異臭。あっちこっちで人々が懸命にがれき処理に当たっている。重機が入れないのでほとんどが手作業の状態でした。

車がようやく通れる道を探しながら、知人の店のそばまで行きました。そこから歩いて行って知人の奥様に出会えた時には、ほっとしました。知人も震災当時は高いところにいて無事でした。何が一番必要かと聞きましたら、ガソリンだといわれました。当時ガソリンは全くなく、いつも懇意にしていただいてるスタンドに無理矢理お願いして、次の日に食料と一緒に届けました。

これまでに、石巻、南三陸、大船渡、陸前高田と沿岸部に行ってみましたが、阿鼻叫喚とはこのことかなと思いました。

泣いても叫んでもどうしようもない悲しみ、その悲しみを誰にぶつけたらいいのか!
それが「答えのない悲しみ」ってことなのでしょうか?