2011年4月 中総体は?
 
 比較的被害の小さかった学校では例年よりも遅れて4月11日頃に始業式を迎えました。記憶が間違っていなければ,被害の大きかった地域では5月上旬にまでずれ込みました。
 
 学校の避難所にいらした方々に市町村立の体育館等にご移動いただき,学校の体育館を授業で使えるようにすることのできた地域もありましたが,体育館を避難所としたまま新年度を迎えた学校も少なくなく,また,校庭に仮設住宅が作られたのもこの時期でした。このように,地域の主要な体育館は避難所や物資の一時保管場所となっていました。
 
 部活動関連では,今年の地区総体は開催できるのか,どこでやるのか,県大会はできるのか,一時避難している生徒はどちらの中学校から参加するのか,この年に中体連は被災地からも加盟登録費を集めるのか,等,問題山積でした。
 
 あまりの被害の大きさに,宮城県中体連内部にも「県大会を行わない。ブロック大会,全国大会にも出場しない」という意見がありました。私のような大会を行うことしか考えていない者からしてみると信じられない提案でしたが,沿岸部の被害の大きさや,避難所運営に当たり,前年度の補填授業も行いながら新学期を過ごしている教師の状況等を考えると,正しい提案という見方もできたかもしれません。
 
 4月下旬に,中総体を行うかを決める会議が開かれました。結論は「全競技県大会開催」。「地区大会が開催できないならば,その地区は全学校県大会出場でも構わない!」「学校の体育館でも競技はできる!」等,どうしたら大会ができるか,沢山の意見が交わされました。
 
 みんな,当たり前の生活を送ることができていない生徒から中体連の大会まで奪わせない,という気概に満ちていました。